彼女の福音
拾伍 ― もう一つの作戦 ―
こほん。
えー、今日みなさんに来てもらったのは、他でもありません。
お姉ちゃんのことです。
あ、ついでに聞きますけど、みんな夏祭りに行きましたか?
渚ちゃんは悠馬さんと、風子ちゃんは公子さんとですか。
私?
勝平さんは今、オーストラリアのどっかで写真撮ってますから、一人だったんです。ああ、そう言えば岡崎君と智代さんは一緒でしたね。あの二人永遠の愛だのなんだのっていつもいつも一緒でマジむかつくいちゃいちゃすんのもいい加減にしろ年とか考えろよみっともないだいたい夫婦だからって何をしてもいいわけじゃないんだってバッカじゃねーのそもそ
はっ
私としたことが。
ん?いいえ、ぜんぜん大丈夫ですよ。仕事?楽しいです。人の命って大切ですね。例えそれが薄汚い視線しか送ってこない、癌で一ヶ月もないようなスケベ爺の命でも、自分が自由にできると思えば許容できます。
それはともかく、だからですね、今年はお姉ちゃんと一緒に行こうかなぁ、って思ってたんですよ。そしたらね、何て言ったと思います?
「ごっめ〜ん。あたし誰かと行く約束しちゃっててさ。悪いけどちょっと、ね?」
何だかすごくうれしそうな顔でした、ええ。
で、ちょっと興味があって、どんな人かなぁ、って聞いてみたんです。
「まさか男の人?」
「え……え、まっさかぁ、そんなわけないじゃない」
「だよね。お姉ちゃんが男の人と行くわけないよね」
「そうそう、あはははは〜」
これで決まりです。普通だったらお姉ちゃんここで「はっ、結婚してるやつにはわからないでしょうね、一人身が祭りに行く時にカップル共を横目で眺める寂しさを」とか言うのに。
「で、どんな人なの?」
「だぁかぁらぁ……」
「そう言えば、お姉ちゃんここのところあまり話せないよね。家にいないこと、多いの?」
「え……あ、まあね、うん。そうなのよ。仕事でさぁ」
「ふ〜ん……」
嘘です。お姉ちゃんは嘘を吐いています。
「……椋?ちょっと、ねぇ、椋、何泣いてるのよ?」
「え……泣いてなんかないよ?あ……れ?」
ああ、そうそう。ここで「あ」と「れ」と間に、「え?どうしちゃったの?」みたいな間をあけると、騙されやすいようですよ。あと、無理に笑おうとしたりすると。
渚ちゃん、悠馬さんに試してみたらどうですか?
「ごめん、あたし何か言ったかなぁ……ほら、もう泣かないでよ」
「ごめんね……どうしてだろ、何だかお姉ちゃんが遠く感じられちゃってさ……ひっく」
「遠くなんてないわよ。あたしと椋って姉妹なんだから」
「でも……でも昔は何でもかんでも話してくれたよね……ぐす……でも普通だよね、そうやってみんな大人になっていくんだよね、それで誰でも踏み込んでほしくない領域とかあって……あたしが甘えてるだけなんだよね」
しばらくすると、お姉ちゃんはため息をついて話し始めました。
「……そいつとは、まだ正式に付き合ってるわけじゃないの」
「……そうなんだ。いい人?」
うーん、と困った顔で唸ります。
「いい奴、ね。うん。あまりカッコ良くないけど」
「優しい?」
「普通。というか、普段はデリカシーのデの字も知らないくせにね、時々気が利くのよね」
「まじめな人?」
「全然」
「……お姉ちゃん、まさかとは思うけど玉の輿?」
「本気で殴っていい?」
「じゃあどうして……?」
「それがわかれば苦労しないわよ」
あはは、と苦笑するお姉ちゃんは、まさしく恋する乙女でした。
そこで、私は占ってみたんです。その人とお姉ちゃんの相性を。
いえ、ただの興味でです。あと、姉妹愛です。
決して男の人と夏祭りに行くなんてまな板なお姉ちゃんのくせに生意気なこうなったらその馬の骨とどうなるのか見て笑ってやろう、とか考えてたりしませんから。
「そしたら、どんな結果に?」
渚ちゃんが身を乗り出して聞いてきた。
「最悪でした。二人は別れて口も利かなくなり、お姉ちゃんはその傷を胸に生涯独身でい続ける、と出ました」
「だ、だめですっ!そんなの、杏ちゃん可哀そうですっ!」
「最悪です。岡崎さんの四分の一くらいに最悪です」
風子ちゃんによると、岡崎君ってこの四倍ぐらい最悪なんですね。ちょっとすごいなぁ。
ま、あまり否定しないけど。特に鈍感なところとか。
「じゃあ、この事態を何とかしないといけないですっ!」
「そうなんです。お姉ちゃんのために」
あと、老後独り身のお姉ちゃんを介護しなくて済む私のために。
「そこで風子参上なわけですね、わかります」
風子ちゃんはたまたま渚ちゃんといたからついてきただけだ。むしろ風子ちゃんがいると、惨状になりかねない。
「というわけで、具体案を見つけ出したいと思います」
「はいっ!」
真っ先に風子ちゃんが手を上げた。
「椋さんがお姉さんを思う気持ちもわかります。風子もお姉ちゃんが大事だから、ついつい心配してしまいます」
絶対に心配される側だと思う。いろんな意味で。
「ですからこの際、全てがうまくいくラッキーアイテムを進呈したいと思います」
そう言いながらカバンの中をごそごそして
「はいっ!ヒトデです」
「すごいです風ちゃん!また彫ったんですね!!」
「はい!ヒトデは生活に欠かせません。こんなに可愛いヒトデが一家に一匹あれば……こんなに可愛い……はぁああああああああああああああああああああ」
風子ちゃんがトリップを始めた。
「あ……あの、椋ちゃん、起こしてあげた方がいいんじゃないですか?」
「いいです」
その方が絶対に話が進むだろうし。
ここでヒトデが出ることはすべて計画通り。
「さてと。で、作戦です。渚ちゃん、何かありませんか」
「ん……と。あの、例えば杏ちゃんからのプレゼントとしてその人に、その、お母さんのパンを上げれば……って、それでは私、古河パンの評判を下げてしまいますっ!!」
それは別として、それなりにいい作戦かもしれない。ちなみに、今例の夫婦が「私のパンは、嫌われるための材料だったんですねぇえええええ」「俺はっ大好きだぁああああああ」とか聞こえたけど、気にしない。走れるっていいよね。私、勝平さんのこと考えたらちょっと殺気がわいてきちゃった。
「椋ちゃんが強く反対しても、杏ちゃんなら駆け落ちもしかねません……じゃあ、まずはどんな相手か見てみるのはいかがでしょう?」
「敵を知り、己を知れば、ですね」
「はいっ!」
というわけで、作戦の第一段階が決まった。お姉ちゃんが次にお出かけする時、私と渚ちゃんと、しぶしぶだけど風子ちゃんで相手をじっくり観察してから策を練ることにします。
まぁ、いざとなったら私が相手方に怪文書でお姉ちゃんの恥ずかしいことあることないことを詳しく書いておけばいいんだけどね。お姉ちゃん、顔はいいかもしれないけど性格はほら、アレだから。
「皆さん、コーヒーのお代わりはいかがですか」
その時、この店の女将さんである有紀寧さんがやってきた。そして私たちの前に屈みこむと、囁いた。
「あと、少ししたら杏さんと智代さんがいらっしゃいますので」
どこをどうやって調べたのかわからないけど、有紀寧さんの情報は確かだ。はっきり言って、この人は食えない。旦那さんの田嶋さんとは別な意味で要注意人物だ。
「ありがとうございますっ!え、えと、智代さんと杏ちゃんには……」
「言いませんよ。渚ちゃんのことですから」
そう言いながら私ににっこりと微笑みかける。細めた眼の奥で何かが光る。
やっぱりこの人は危険だ。
「あ、このヒトデ、どうします?」
風子ちゃんのヒトデを指さした。
「そうですね……有紀寧さん、貰ってくれますか?」
こんなヒトデなんてもらっても、迷惑なだけだろう。そう思いつつ、水を向ける。
「いいんですか。では」
そう言うと、有紀寧さんは風子ちゃんの頬をつついた。
「はっ!私としたことが……あ、有紀寧さん」
「こんにちは、伊吹さん」
「丁度いいですっ!有紀寧さんはヒトデの似合う美女です。ですので特別にこれをあげますっ!」
あれれぇ、最初はお姉ちゃんにあげるはずだったよね、風子ちゃん?
これだからおこちゃまは。
「ありがとうございます」
そう言って有紀寧さんはヒトデを受け取った。
ボケ組三人娘が店を出てからしばらくすると、最強最凶コンビが「Folklore」の扉を通ってきた。
「しっかし、暑いわねえ」
「うん、残暑が厳しいな。あとで朋也の好きな西瓜でも買おう。杏も食べるだろ?」
「いいわねそれ」
そう言いながらカウンターに腰掛ける二人。
「いらっしゃいませ。何になさいます?」
「アイスコーヒー、お願い」
「私は紅茶を」
数分後、有紀寧は注文の品とともに、木彫りのヒトデを二人の前に置いた。
「これは……」
「何だ……む」
ヒトデには、「椋さんと渚さんと伊吹さんが何か企んでます。ご用心を」と書いてあった。
「ふーん……あの子たちが、ねぇ?」
「しかしいいのか有紀寧さん、口止めとかはされていないのか?」
「ええ。だって智代さんにも杏さんにも、いつも贔屓させていただいてますし、私、年上の兄弟や姉妹への陰謀、好きじゃないんです」
「ふむ。しかし、有紀寧さんの名誉を傷つけることもしたくないのだが」
「大丈夫です。私、何も『言わない』約束ですから」
ふふ、と笑う有紀寧。
「しっかしねぇ、何企んでるのかしら」
カラン、とアイスコーヒーの中の氷をかき回しながら、杏が不敵に笑う。
「別にそう悩むこともないと思うが」
「あらどうして?」
「これが例えば芽衣ちゃんや朋也や古河さんのお父さんが噛んでいるんだったら、警戒もするだろうが、古河さんと風子ちゃんがメンツなら」
優雅に紅茶を口にする智代。
「上手くいきっこないだろ」
「まあ、そうなんだけどね。あ、そうそう、で再来週の週末なんだけどね、どうしよっか」
「あまり遠出はしたくないな。朋也の勉強にも差支えるだろうし」
「はいはい、いいわよねぇ愛しの彼との永遠が約束されてる岡崎智代さんは」
「そんな岡崎智代さんに電話越しに惚気たのは、どこのどなただったっけな、藤林女史?」
ふふふ、と笑う二人。
その晩。
「えーっと……なるほど、はい、こうですね」
有紀寧はおまじないの本を取り出すと、呪文を唱えた。
「タカスギシンサクマジカルアンバータリラリラータカスギシンサクマジカルアンバータリラリラータカスギシンサクマジカルアンバータリラリラー」
「何やってるんだ有紀寧」
寝巻に着換えた田嶋が聞くと、有紀寧がほほ笑んだ。その時、田嶋の背筋が凍る。
やべえ……あの目は
あの目は、楽しそうな物を見つけた和人さんの目だ。
「何でもありませんよ、あなた。強いて言えば」
「……言えば?」
ごくり、と喉を鳴らす。
「楽しいことは、もっと楽しくならなきゃいけないですから」